原発が今も稼働できない意味が全く分からない

原発が稼働していないために、火力発電の燃料費用に毎日100億円、年間3兆8000億円かかっている現状となっている。
これらの金を、日本は主に中東の諸外国に支払い続けているのである。
それに比べて、原発の運営に必要な資金は年間2000億円。
段違いだ。


原発が今も稼働できない意味が全く分からない。


稼働するには、安全確認とやらがいるそうだが、必須というわけではないとのこと。
もちろん、また同じような天災があった時にフクシマの二の舞になるのは絶対に避けなければならない。
そのための設備が整っていないのであれば、整えなければならない。
そうできないなら稼働すべきではないだろう。
とは言っても、設備は整えればいいだけだ。それだけの話だと思う。


つまり、必要な設備は資金を無理くり用意して、さっさと仕上げてしまう。
安全確認がどうしても必要というのであれば、さっさとやってしまう。
で、稼働する。
国益のために、稼働して貰いたいと思う。


というのは、どうせ燃料棒は冷やし続けなければならないのだし、
原発はできてしまっているのだから、それを耐用年数まで活用すべきと考える。


というと、100%安全が保証されていないものをなぜ動かすんだと言う人がいるが、
まあそういう人は放っておけば良い。
稼働推進派も、安全対策が整っていない状態で稼働せよと言っているわけではないからだ。


これはもう思想の話であって、100%安全なのかそうでないのか、などと言い出すと、絶対に相容れない。


反対派は反対派の仕事をすればいい。稼働させない、廃炉にする、そういう動きをするだろう。
それは、それでいい。


だから、稼働推進派も、自分たちの仕事をすべきだ。
力強く稼働を推し進めるべきだ。
政治家を動かして、ちゃっちゃと仕事をしろ、と思う。
電力会社や関連する政治家は、稼働のための最善の努力を本当に尽くしているのだろうか?
関電では、冬のボーナスはゼロとのことだ。
社員はそれでいいとは思っていないだろう。
中では、どんな会話がされ、どんな努力が行われているのだろうか?


全ての人間が、内面で稼働か・廃炉かで、葛藤を抱える必要はない。
推進派は、いち早く再稼働することに注力すべきだ。


今もなお、日本の国益が、中東に毎日100億円、流れていってしまっている。
その流出を少しでも早く止めるべく、関係者は尽力しなくてはならない。

踏切で高齢者を助け、自分はひかれて亡くなった女性について

2013/10/1に発生したJR横浜線での踏切事故。
踏切でしゃがみ込んでいた男性(74)を助け、自分は電車にひかれて亡くなった女性:村田奈津恵さん(40)のことをどう受け止めるべきだろうか。


その後のニュースでは、亡くなった女性の父親はこのように語っている。
「おじいさんが踏切のなかに入ってきて、しゃがんで腕を線路の上に乗せて、首を線路に置いたんですよ。それをうちの娘が見て『助けなきゃ』と言って、『ダメだ』と言ったが行ってしまった」
「せめてもの救いです。自分の命でおじいさんを助けたなら」


おじいさんは自殺しようとしていたように思える。
そのような人を、自ら犠牲になることを恐れずに助けに行った女性。
すごい人だとか
自分には真似できない
人間の鑑(かがみ)だと思う人もいるかもしれない。


あるいは、
バカな人だとか
自分が死んでは意味が無いとか
助けなければ良かったんじゃないかとか
そんな感想を持つ人も多いと思う。


自分も、このニュースを聞いたときは、率直にそう思った。
結局、一人が死に、一人が生き残っていた結末に変わりはない。
しかも自分より年上のおじいちゃんを助けて、40歳の若い自分が
死んでしまっては、何も意味はないのではないか。
そういう思いが湧いて出た。


しかし、おそらくそうではない。
この女性は、考えるより先に、体が動いた。衝動のようなものだ。
この事故だけをクローズアップすると、とても悲しい結末が一瞬で引き起こされたように思ってしまう。
しかし、この女性はこの一瞬だけでなく、40年間同じように行動してきた人だ。
だからこそ、こういう行動を取れたと考えられる。
全く同じような場面に遭遇していなかったとしても、衝動で人を助けるということを、何度も行動してきた女性なのだ。
それは、命を助けるというよりも、心や気持ちを助けるという事の方が多かったのかもしれない。
命が失われそうな場面に遭遇することなど、そうありはしないからだ。


そうして、村田さんに、村田さんの存在に助けられた人が、周りには大勢いるのだろう。
そう思うと、彼女がこうして亡くなってしまったことに、何の意味もないということは言えないと思う。
もちろん、もっと生きて、もっと周りに貢献できたことは多いと思う。
でも、村田さんに助けられてきた周りの大勢の人、そして彼女のことを間接的に知った私達も、
彼女の意志を継いでいくことになる。


この事故の一件にのみクローズアップすると、もじ自分が同じ場面に遭遇したらどう行動すべきかと問われると、その回答は難しいところだ。
しかし彼女を今回のように行動させた内面の力強さと優しさをそれぞれの人が持って行動するべきであるという事実については、何ら毀損されるものではなく、むしろ皆がそうあるべきだ。


そういう意味で、このニュースは、自分は人間としてどうあるべきなのかを突きつけてくるものであると思う。
哀悼の意を表するとともに、得た教訓を心に刻みつけておきたい。