踏切で高齢者を助け、自分はひかれて亡くなった女性について

2013/10/1に発生したJR横浜線での踏切事故。
踏切でしゃがみ込んでいた男性(74)を助け、自分は電車にひかれて亡くなった女性:村田奈津恵さん(40)のことをどう受け止めるべきだろうか。


その後のニュースでは、亡くなった女性の父親はこのように語っている。
「おじいさんが踏切のなかに入ってきて、しゃがんで腕を線路の上に乗せて、首を線路に置いたんですよ。それをうちの娘が見て『助けなきゃ』と言って、『ダメだ』と言ったが行ってしまった」
「せめてもの救いです。自分の命でおじいさんを助けたなら」


おじいさんは自殺しようとしていたように思える。
そのような人を、自ら犠牲になることを恐れずに助けに行った女性。
すごい人だとか
自分には真似できない
人間の鑑(かがみ)だと思う人もいるかもしれない。


あるいは、
バカな人だとか
自分が死んでは意味が無いとか
助けなければ良かったんじゃないかとか
そんな感想を持つ人も多いと思う。


自分も、このニュースを聞いたときは、率直にそう思った。
結局、一人が死に、一人が生き残っていた結末に変わりはない。
しかも自分より年上のおじいちゃんを助けて、40歳の若い自分が
死んでしまっては、何も意味はないのではないか。
そういう思いが湧いて出た。


しかし、おそらくそうではない。
この女性は、考えるより先に、体が動いた。衝動のようなものだ。
この事故だけをクローズアップすると、とても悲しい結末が一瞬で引き起こされたように思ってしまう。
しかし、この女性はこの一瞬だけでなく、40年間同じように行動してきた人だ。
だからこそ、こういう行動を取れたと考えられる。
全く同じような場面に遭遇していなかったとしても、衝動で人を助けるということを、何度も行動してきた女性なのだ。
それは、命を助けるというよりも、心や気持ちを助けるという事の方が多かったのかもしれない。
命が失われそうな場面に遭遇することなど、そうありはしないからだ。


そうして、村田さんに、村田さんの存在に助けられた人が、周りには大勢いるのだろう。
そう思うと、彼女がこうして亡くなってしまったことに、何の意味もないということは言えないと思う。
もちろん、もっと生きて、もっと周りに貢献できたことは多いと思う。
でも、村田さんに助けられてきた周りの大勢の人、そして彼女のことを間接的に知った私達も、
彼女の意志を継いでいくことになる。


この事故の一件にのみクローズアップすると、もじ自分が同じ場面に遭遇したらどう行動すべきかと問われると、その回答は難しいところだ。
しかし彼女を今回のように行動させた内面の力強さと優しさをそれぞれの人が持って行動するべきであるという事実については、何ら毀損されるものではなく、むしろ皆がそうあるべきだ。


そういう意味で、このニュースは、自分は人間としてどうあるべきなのかを突きつけてくるものであると思う。
哀悼の意を表するとともに、得た教訓を心に刻みつけておきたい。